願わくは花のしたにて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ
桜の季節となりました。市内にも、雀神社や四季の径など桜の名所がいくつかあり、本紙を皆さんが手にするころには、淡紅色の花が満開に咲き誇っていることと思います。
桜というと思い出すのが、冒頭に記した西行の歌です。
西行は、平安後期から鎌倉前期にかけて活躍した歌人で、本名は佐藤義清といい、豪族として裕福な家に育ち、鳥羽院の下北面の武士として出仕しますが、23歳の若さで出家してしまいます。
高貴な女性との失恋や、政治的な問題に対する失望などが、出家の原因と推定されますが、早くから持っていた出家の志をつらぬき、仏道修行に入り作歌とともに生涯のはかりごととしたことに、世のひとはその志を嘆美したと藤原頼長の「台記」は記しています。
出家した西行は、都周辺の寺や草庵に暮らし、30歳のころ陸奥への旅にでます。都へ帰ってからは、真言僧として高野山中心の生活を始め、崇徳院の白峰陵での鎮魂と弘法大師の聖蹟巡拝を目的とした四国行脚の後、63歳で伊勢へ移住。晩年を迎えます。69歳の年、再度陸奥への旅立ち、途中鎌倉では、源頼朝に、平泉では、藤原秀衡に会い秀衡のもとで年を越し翌年帰洛しています。
晩年も歌人としての意欲は旺盛で、独自の歌境を円熟させ73歳で世を去りました。
このような生涯を歩んだ西行に、古河を詠んだ歌があることをご存じでしょうか。その歌は、陸奥への旅の途中、奥州街道の古河の渡しで詠まれたもので、代表的な歌集「山家集」に収められています。
下野武蔵の境川に舟渡をしけるに、霧深かりければ
霧ふかき古河のわたりのわたし守
岸の舟つきおもひさだめよ
新古今集を代表する歌人の生涯を振り返り、古河の地を歩む古人の姿を想いながら桜を愛でる。
想像力をチョッピリ働かせてみましょう。何気ない街角にも、さまざまな風景が立ち現れてきます。古河はそんなまちなのです。 |