古河商業学校の教師にして
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芸術の分野で、伝統的なものを退け、現代的な新しい価値を追求した人達をモダニスト(近代主義者)といいますが、今回取り上げる半谷三郎は、茨城県の詩の風土には、数少ないモダニストの先駆者でした。

半谷三郎(本名悌三郎)は、明治35年福島県に生まれました。大正末に早稲田大学高等師範部を卒業、昭和の初年に茨城県立古河商業学校(現古河一高)に英語教師として赴任しました。大学時代より、詩への興味と思索を重ね、教職の傍ら詩作を続け昭和3年には、彼の代表作とも言うべき詩集「発足」を椎之木社より出版しています。その後、安西冬衛、北川冬彦、三好達治、西脇順三郎らとともに、新詩運動に加わりました。やがて、独自の詩論を各雑誌に発表し、旧来からの叙情詩と、台頭してきたダダイズム(既成の価値体系を否定し、一切の秩序破壊をめざす芸術運動)やシュールレアリスム(夢や幻覚などの表現によって、人間の意識と現実に光をあて、変革を目指した芸術)の詩などを批判し、新しい詩の創造を提唱しました。それらの集大成が彼の代表作「現実主義詩論」です。この本は、詩人北川冬彦等によって高く評価されました。

教師としては、英語を教えるかたわら商業美術を担当。校章のデザインをしたり、詩の朗読を授業に取り入れ、ドイツ製のカメラを胸に校内行事にかけまわるという器用さを発揮しています。実直で温和だが、英語の採点は厳しい教師でした。彼は、自分の詩論を詩学にまで高めようとしましたが、戦争の深まりの中で挫折、昭和19年、古河商業高校在職中に41歳の若さで亡くなりました。 古河出身の夫人半谷(旧姓小堀)きみ子も西条八十門下の詩人で、長男の恭一氏はロッキード事件の裁判長として活躍しました。

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