立原道造と水戸部アサイ

 文学館通信では、これまで古河ゆかりの文学作品や文学者についてご紹介してまいりましたが、今回は趣向を変えて、古河ゆかりの人物と文学者の出会いによって誕生した詩集について取り上げて見たいと思います。
 文学者の名前は、立原道造。夭折の詩人であり、建築家としても非凡な才能の持ち主でした。立原は、大正3年東京生まれ。中学時代より作歌を始めます。第一高等学校に入学すると、詩へ関心を深め詩集「さふらん」「日曜日」「散歩詩集」と、次々に詩集を制作。東京帝国大学工学部建築学科に入学後も、詩作を続けました。また、建築においても、在学中最も優秀な課題設計に授与される「辰野賞」を3年連続受賞するなど、才能を発揮。卒業後、石本建築事務所に入所。事務所で水戸部アサイと運命的な出会いをします。
 水戸部アサイは、大正8年栃木県下都賀郡赤麻村(旧古河藩領)に5人兄弟の末子として生まれました。
県立栃木高等女学校を卒業後上京。タイプライターの技術を習得後、石本建築事務所にタイピストとして入社します。事務所に入所した立原と交際を始めますが、まもなく立原は肺を患い事務所を病気休職。追分の油屋(旅館)などで転地療養中に、構想されたのが、詩集「優しき歌」です。この詩集はアサイとの出会いなくしては誕生しえなかったものと言えるでしょう。その後、立原は東京市立療養所へ入所。アサイの献身的な看護を受け、昭和14年2月には、第1回中原中也賞の受賞も決定しました。翌3月には、小康状態が続き「5月のそよ風をゼリーにして持ってきて下さい。」などと注文するようになりましたが、29日病状が急変し永眠しました。享年24歳でした。「優しき歌」の世界を更に詳しくお知りになりたい方は、文学館の図書コーナーにある立原道造没後60年記念特別展の図録『「優しき歌」の世界立原道造と水戸部アサイ』(1999年3月27日 立原道造記念館発行)をご覧ください。
(水戸部アサイの写真は、市内ミトベ写真館で撮影。アサイは、水戸部行雄専務の伯母にあたります。)

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