朝倉頼母は、古河藩の家老で、安永年間(1772-1781)に藩政改革に取り組んだ人物である。支出抑制・藩秩序の回復・民意の把握・農村復興などに取り組んだ。とりわけ、家中救済を目的とした御買物方制度は、現在の生活協同組合(生協)のシステムの先取りであり、きわだったものであったといえる。しかし、この改革は、2年ほどで行きづまってしまった。
○日下部氏朝倉氏総系(くさかべしあさくらしそうけい)
江戸時代後期 鷹見家歴史資料
・朝倉頼母の家は、戦国大名の越前朝倉氏の流れを引いている。これは、朝倉家に伝来した家系譜であるが、一般に「朝倉孝景十七箇条(朝倉敏景十七箇条)」と呼ばれる分国法がしるされている。
○土井利勝宛
朝倉宣正鳥居成次書状(どいとしかつあてあさくらのぶまさとりいなりつぐしょじょう)
江戸時代初期 鷹見家歴史資料
・土井利勝から贈られた鮭に、徳川忠長(駿河大納言)が大変満足していると、書面をもって返礼している。朝倉氏は鳥居氏ともに、この当時、駿河大納言の附家老であった。
朝倉宣正の妻は、土井利勝の義妹である。のちに駿河大納言の改易で、朝倉氏は領地の掛川2万6千石が没収され、土井家に召し抱えられる。
○江戸御家老中江朝倉頼母御書面申遣候写/内蔵允殿江同人差出候書面書付写(えどごかろうちゅうへあさくらたのもごしょめんもうしつかわしそうろううつし/くらのじょうどのへどうにんさしだしそうろうしょめんかきつけうつし)
明和〜安永(1764-1781) 鷹見家歴史資料
・古河にあった朝倉頼母が、江戸の家老長尾但見・山下藤兵衛に出した藩政改革の趣意書。文末では、仙台藩の例を出して伊達騒動の二の舞にならぬようと、みずからの決意の高さを表現している。
○諸御触記(しょおふれき)
明和2年〜享和元年(1765-1801) 旧潮田家資料
・明和2年〜享和元年の家中に対する触れをまとめたもの。安永3年12月15日の条には、年末年始の御買物方役所の利用案内がしるされている。安永4年2月15日の条では、分不相応な買い物について注意をうながしている。
○将棋免許状(しょうぎめんきょじょう)
安永3年(1774) 鷹見家歴史資料
・伊藤宗印(1728-1793)から授けられた将棋三段の免許状。伊藤家は、将棋の世界では三世・五世・七世・十世・十一世の名人を出した家。宗印は、6代目で、7段であった。 |