T−3・解剖学者河口信任

元文元年(1736)〜文化8年(1811)
唐津(佐賀県唐津市)に生まれる。
宝暦9年(1759)長崎に医学留学、栗崎道意(くりさきどうい)に入門。同10年・12年に「栗崎流免状」を得て唐津へ帰る。宝暦13年、藩主土井利里(どいとしさと)の転封で古河に移る。
明和6年(1769)、藩主に従い京都在勤。翌年4月25日、信任35歳のとき、藩主にして京都所司代(きょうとしょしだい)の土井利里から許可を得て人体解剖をおこなう。同9年3月、『解屍編』刊行。
安永3年(1774)、古河藩御側医格(おそばいかく)。同6年藩主利里の死去に伴い古河帰郷。菩提は古河市内の本成寺(ほんじょうじ)。その墓は、古河市指定文化財となっている。
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解剖刀 解屍編 黒崎流免許状

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