寛政5年(1793)、古河に生まれる。
文化9年、「表医師」となる。同12年(1815)5月26日、23歳のとき杉田玄白へ入門、同14年古河帰国。
文政10年(1827)正月、「御医師」を拝命、天保元年(1830)「御側医」となった。同9年9月11日、「不調法」につき「御側医格御側医勤」から「表御医師」へと格下げとなる。
嘉永3年(1850)、はじめて古河藩家老小杉輔長の三男に種痘をおこなう。
江戸滞在中に多くの洋学者たちと交流、その人脈は古河藩にとっても有益なものとなった。
明治2年(1869)死去、享年77歳、本成寺に眠る。法名=伝光院祐日学居士。 |