今年も古河の桃林祭が3月20日から開催されます。そこで今回は、明治時代の観桃会の様子を当時の新聞・雑誌からみてみましょう。
今から92年前の明治41年春、古河実業協会は関東の一美観である古河桃園を天下に紹介して清新なる娯楽場として来遊客歓迎につとめ町の発展を図ろうと計画しました。
初年度は鉄道庁に交渉して汽車賃割引を実行し、東京の主だった新聞記者を招待して桃園吹聴方を依頼しましたが、この年は天気に恵まれず、準備も十分でなかった模様で、いやはやお話しにならない、こんな風で以後やっていったってどうして人が集まって来ようと、手厳しい批判をうけています。
しかし同44年には体制も整い、桃園グランドの入口に、3階建西洋館風掛小屋をはじめ、各売店も飾りをほどこすなか、4月2日開園式には煙火、大風船打ち上げ、3日は製糸会社従業員による四十七士の仮装行列、5日は四県連合医師大会、6日は古河芸妓手踊り、7日は学校児童群馬、埼玉、栃木、茨城四県連合大運動会、9日は全国自転車競争、10日は猿島郡幹事部第3回愛蔵子人会総会、11日は競馬大会、12日は西部教育会主催理工大講演会と連日の催し物が続きます。なかでも小学生の運動会は各近在よりの見物人にて、立錐の余地もないほどでした。
このように現在の桃林祭も基本的枠組みは当時のものと同じといえますが、満開の時期はだんだん早まり近年の温暖化がわかります。また明治維新によって一時停滞した古河が、製糸業を中心に商工業都市として再生していくのがこの時期です。設立されたばかりの実業協会によって企画されているのも興味深いところです。
古河歴史博物館学芸員 鷲尾政市 |