オランダ地図誕生のまち、古河
鷹見泉石と日蘭交流400年 |
今から400年前のこと。
慶長5年3月16日、臼杵湾(現在の大分県)に、一隻の洋式帆船が漂着しています。その船は、東方貿易振興をはかることを目的としてオランダのロッテルダムを出帆した六隻中の一商船でした。当時、オランダは、1581年に独立宣言をしたばかりの新興国でありましたが、やがて世界貿易の中心国としての地位を確立するに至ります。
船の名は「リーフデ号」、「愛」ということばを意味するこの船は、遭難を免れてはるか東方の島国日本に漂着したのでした。じつは、この船の漂着こそ、日本とオランダ、すなわち日蘭交流の第一歩となるものであったのです。蛇足になりますが、この事件を翻案した「将軍」なる映画がしばらく前に上映されたことをご存じの向きも多いことではないでしょうか。日蘭のあいだに通商関係が芽生えるのはここが起点、その独占の幕引きは皮肉にも日本人の手による最初のオランダ地図が刊行された時代にあたっています。古河藩屈指の地理学者鷹見泉石とその著作「新訳和蘭国全図」については次号にて詳らかにいたしましょう。
ところで、リーフデ号の生存者中、その後日本で活躍した3人の人物を紹介しておきます。イギリス人航海士ウィリアム・アダムスと、オランダ人商務員ヤン・ヨーステン、同じくメルヒオール・ファン・サントフォールト。とりわけて、アダムスは徳川家康の外交顧問として三浦半島に250石の知行地まで拝領され「三浦按針」と名乗りました。また、ヤン・ヨーステンも、家康に仕え外交の諮問に応じる立場として活躍、オランダの日本貿易独占に人力しています。東京「八重洲」の地名は、「ヤンヨーステン」が転訛したものといわれますが、そこに彼の住宅が置かれていたことを申し上げるまでもないでしょう。
(日蘭交流400年記念展「日本最初のオランダ地図 新訳和蘭国全図と鷹見泉石」は5月13日〜7月9日
)
写真:日本最初のオランダ地図(鷹見泉石作)
古河歴史博物館 学芸員 永用俊彦 |