ナポレオン・ボナパルト−この歴史上の人物について、世界史を学ぶ自由のある現代、わたくしたちはその名をただしく認識することができます。ナポレオンの時代、それは200年ほど前にさかのぼりますが、当時国内に、彼についてどのくらい知る人がいたのでしょうか。
フランス革命、ナポレオンの台頭につづくヨーロッパ情勢の急変は、日本にも影響を与えました。西洋における唯一の通商国オランダがフランスに併合されてしまったのです。
1808年8月、長崎港へのイギリス船侵入事件=「フェートン号事件」も、ナポレオンとフランスをめぐる余波でありました。
対日貿易独占の遵守のため、日本滞在のオランダ商館員は、ナポレオンの存在、オランダ国消滅のことを秘匿しつづけます。加えて第三国のアメリカ合衆国から乗組員まるごと雇い入れた商船を日本に派遣、急場を凌ぐといった態。鎖国下の日本人は、出島のオランダ人の対応のぎこちなさに疑義を抱きながらも、この時期、国際情勢についてその動向を正確に認識することができませんでした。国内で、この時代のヨーロッパにおける政治状況が詳らかにされるには、それから50年ほどの歳月を要します。蘭学・洋学研究者のたゆみない努力と時間がいまだ必要であったのでした。
鷹見泉石の著作、「新訳和蘭国全図」の一節を引用してみましょう。
一千八百四年、文化元年、仏蘭西国偽帝勃那把爾的、一旦其地ヲ奪ヒ、弟「ロテウェイキ」和蘭ノ国王ニ封セラレシニ、不徳ニシテ国治ラズ、仏蘭西ニ帰ル驚くことに、ナポレオンのオランダ侵略など、19世紀初頭の西洋事情の一端が明快に述べられているではありませんか。1850年=日蘭交流250年を目途に、鷹見泉石が作成したこの日本最初のオランダ地図は、ナポレオンの存在、オランダの歴史を日本人に示したごく初期の教育書としても高い評価を受けています。海外情報の統制された鎖国の中、本図は、鷹見泉石の豊かな国際感覚をかいま見る作品といえましょう。
古河歴史博物館学芸員 永用俊彦 |