篆刻美術館の秋季特別展は、大久保翠洞先生と浅からぬ関係にある保多孝三氏の回顧展です。
保多孝三氏は、字は子老・子考・無違、号は二羊・雙羊、居室に名付けて柞廬・無違室・石為身斎といい、明治41年、易の研究家保多守太郎氏の三男として東京市麻布区竹谷町に生まれました。祖父は茨城縣の下館藩士で江戸詰めでしたが、明治維新の廃藩と身分返上によって、麻布六本木に三千坪の土地を下賜されましたが、今はもうありません。
篆刻を始めたのが中学二年生ころ。父の印刀で鉛に刻していました。初めて展覧会に出品するきっかけは、國學院大學の予科時代に書道講習会で学んだ羽田春埜氏の奨めがあったからです。「喫茶去」と刻した作品が入選し、篆刻家保多孝三が誕生しました。後に日展・毎日展・日本書道美術院等の審査委員として、文人気質作家として活躍しています。
保多孝三芸術の基本は、國學院大學時代に、国語学の金澤庄三郎博士と国文学の折口信夫博士に学んだ事にあります。大学卒業後は東京市役所に就職しますが、教師に転向し数々の教育機関で教壇に登ります。始めは国語・漢文を主とし、やがて書を主とした指導に当たりました。38歳で國學院大學講師となり、52歳より71歳定年退職まで國學院大學教授を務めました。
保多芸術の特徴は、保多氏自身の話しによれば「篆刻を学ぶのに専師を持たなかった」ことです。しかし30歳の時に、山田正平氏(当館で平成4年企画展実施)作品を見て、山田氏に私淑しています。大久保翠洞先生は山田氏に師事していましたので、祖父の出身と併せて保多氏と古河の縁を感じます。
当企画展の中心は刻印約 150顆ですが、書・写生画も併せて約 500点を展示し、芸術家保多孝三の全体像を紹介いたします。
(保多孝三展 9月23日〜11月26日) 篆刻美術館 館長 松村一徳
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