村絵図の果たした役割

鴻巣村絵図(鷹見家歴史資料) 江戸時代以前、国土を描く最新の地図制作はたいへんな手間とお金のかかる国家的事業でした。加えて重要機密として扱われた古い絵地図のこと、今日でも閲覧できる機会はそうありません。
 さいわい当館には、鷹見泉石(1785〜1858)の収集した地図多数が収蔵されています。そこで当館では、春の企画展「日本図のあゆみ」を開催いたしました。「伊能図」をはじめ、日本の地図史が俯瞰できる品々を公開していますのでどうかご来観ください。
 ところで、衛星、航空機、写真もコンピュータもない時代の日本地図は、いかなる方法で制作されていたのでしょうか。それは村々の測量絵地図を郡に組み合わせ、さらに国別(今ふうにいえば県)に集成、最後に日本図として完成させるという手法でした。時の政府の力なくして、とうてい成し果せる事業ではありません。
 泉石は、伊能図や国絵図にとどまらず、こうした日本図調整における最小ユニット=村絵図の収集も忘れませんでした。”村絵図“と侮るなかれ、一見、簡素にみえるこれらの絵図にこそ、実に多くの情報が隠されているものです。
 口絵「鴻巣村絵図」をご覧ください。緑=田・黄=畑・朱=村境・桃=道・水=沼や堀のような色分けと、堂・家・樹木・鳥居などの絵的な表現によるこのような図を”絵図“と呼びます。近代的な地図表現が普及する以前、現地イメージの喚起にはこの手法がきわめて有効でありました。本図を見ると、半島状の陸地とそれを囲む沼、その突端に明示される「天神松」、さらに「徳源院」、「虚空蔵」等の文字が確認できます。現在の総合公園周辺を描いていることがたちまちに想起できるのではないでしょうか。
 村費で測量調整され、村役人名で古河藩に提出されたこのような村絵図なくして、日本地図は集成しえなかったのでした。(企画展「日本図のあゆみ」は、5月6日まで)

古河歴史博物館 学芸員 永用俊彦