開館10周年記念 日下部鳴鶴自用印展
もう一人の鳴鶴に出会う

日下部鳴鶴書 篆刻は中国に始まり、日本に伝わったもので、日本篆刻は中国篆刻の影響を時代ごとに受けとめ発展してきました。また、篆刻は書道の一部であることから、日本篆刻は日本書道と切り放すことはできず、さらには、中国書道との関係を抜きに論ずることはできません。さて、日中ともに書・篆刻の将来を模索している今、日本では明治期書道・篆刻を振り返る、つまり原点に帰ることが、必要ではないでしょうか。
 日下部鳴鶴(1838〜1922)は、江戸・明治を代表する書家で、貫名菘翁に傾倒し学書の定法を得ました。太政官大書記官を勤めましたが、大久保利通の横死を機に退官し、書一筋の生活を始めました。退官の翌年明治13年、中国公使の随員として地理学者であり金石学者でもある楊守敬が来日します。鳴鶴は楊氏を書学の師として仰ぎ彼のもとに4年ほど通い、書・金石学を学びます。楊氏のもたらした古碑法帖により学書し、ついに明治書道に革新を興したのです。楊氏帰朝後、中国に渡航し書家・文人と交遊、そのさい呉昌碩との親交を結んでいます。
 現代書道の源流となる鳴鶴の交遊関係を、篆刻の立場から振り返るとどうなるのか。そんな疑問から本展を企画しました。呉昌碩・徐星州・丸山大迂・浜村蔵六・石川蘭八・河井千 廬・山本竹雲そのほか日中篆刻家計24人の刻になる自用印114 面を展示紹介し、それらの印影が見られる書作品を通じて、日下部氏の業績を顕彰します。書作品では50代・60代・70代それぞれの屏風作品が見所となります。
 古河出身の女流南画家奥原晴湖の自用印の刻者に梛川雲巣がいますが、彼は鳴鶴の印も刻しています。今では知られていない篆刻家ですが、当時人気のあったことがわかります。
 明治の書道・篆刻をもう一度振り返ってみませんか。(篆刻美術館テーマ展「日下部鳴鶴自用印展」は9月29日〜11月25日まで)

篆刻美術館長 松村一徳