病の調伏と弓の使い手
源為朝と源頼政

  「家の軒先に『鎮西八郎為朝公御宿』と、物々しい宿札をかかげる(中略)古河の某町内には殆ど軒並この御宿札が貼出されてそれと知らぬ通行の人々を驚かしてゐる。」(『関東タイムス』昭和14年8月3日付)
 昭和14年(1939)夏、古河地方で疱瘡(天然痘)が流行し、人々は疱瘡にかからぬまじないとして「鎮西八郎為朝公御宿(源為朝の宿)」としるした札をかかげていたというのです。この宿札となった、源為朝は、弓の名手として名高い平安時代の人物で、八丈島で疱瘡神を撃退して伊豆へ送還したと伝えられることから、疱瘡除けの神として信仰を集めていました。そこで、このような宿札が掲げられたのでしょう。
 ところで、為朝の時代の弓の名手には、ほかにもたくさんいます。例えば、ハシカ除けの信仰をあつめた、頼政神社(錦町)ゆかりの源頼政もその一人。頼政は夜な夜な御所に現れる鵺を弓で退治し、毎夜のことうなされる帝を救ったことでよく知られています。
 実はこれと似たような話はほかにもあるのです。『宇治拾遺物語』には、就寝ののち、物の怪に襲われるという白河上皇に、源義家が弓を一張り献上した話が出ています。これは「適当な武具を枕元におくとよい」との沙汰で、義家の弓を白河上皇の枕元に立てて置いた。するとその後、物の怪にうなされることはなかったという。矢を射ることなしに、弓そのものが持っている霊力によって物の怪を退治したのです。
 為朝や頼政が用いていた弓は、武器であるということに加えて、邪悪なものや病をはらう力を持っていると信じられていたのでしょう。

古河歴史博物館学芸員 立石尚之