古河の春を彩る総合公園の桃林は毎年訪れる人たちの目を楽しませてくれます。
桃林の始まりは、江戸時代初期の古河藩主土井利勝が、領内の薪を補給するために植えさせたと言われています。当時のことですから実は食料にしたのでしょう。明治初期の紀行文にも「路傍には桃の木が多く、たわわに実を結び、熟した実があでやかに赤く日に輝いていた」とあります。
ところが、この桃林も大正期になると枯れ死にするものが続出し、数年後には全滅の恐れが出てきました。そこで、古河農会では古河出身の農学者である興津農事試験場の恩田鉄弥博士に図り、同氏の紹介で日本唯一の炭疽病研究家東京府駒場農科大学末松直次氏が分析機、消毒機などをもって来河し、桃林の実地調査を行いました。
その結果、全林の桃樹数千本がほとんど炭疽病に侵されていることがわかり、この年はすでに消毒する時季が遅いため、伐木して完全な消毒を施し、新樹を移植するのが得策という結論になりました。
また約5反歩の模範桃林は全部苗付けを行い、あわせて古河、新郷、勝鹿において講演会を開き、恩田・末松両氏を招き、桃林改革の実施指導を受け、末松氏の考案した石炭と硫黄との合剤による殺虫液をつかっての予防を計画しました。
しかし、こうした努力もむなしく鴻巣、長谷、牧の地等約2Km四方にわたる桃林はまもなく全滅してしまいました。
現在みられる公園の花ももは昭和50年の開園にともない往時の桃林を復活させたものです。
古河歴史博物館学芸員 鷲尾政市 |