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「世直し鯰」登場!
特別展「天変地異と世紀末」から |
江戸も終わりにさしかかった安政2年(1855)10月2日、江戸は大地震に見舞われました。世に言う安政の大地震です。
地震は、揺るぎない大地をふるわせ、この世のすべてのものを破壊してしまうものです。このような状況を人々はどのようにとらえていたのでしょうか。それをわかりやすく示すものに「鯰絵」があります。鯰絵とは鯰を素材とした災害錦絵のことです。安政大地震の際には、たくさんの鯰絵がゲリラ的に版行されました。摘発されるまでのわずか2か月に、その数およそ300ほどあったといいます。この先鞭をなしたのは、古河出身の絵師河鍋暁斎でした。暁斎は、地震の翌日、戯作者仮名垣魯文と組んで、鯰絵を描いて版行したのです。これをきっかけとして、江戸の浮世絵師らは、こぞって鯰絵を描きました。
古くから鯰は、地震を起こすといわれていました。鯰絵といわれるも
のには、大きな鯰を退治しようとする図柄もいくつかあります。
ところが、実はその多くの鯰絵には、あたかも地震を歓迎するかのような図柄が多いのです。復興景気に酔う職人や、鯰が人助けをしたり、鯰そのものを拝んだり。その理由は、地震そのものに対する人々の認識にあるようです。
江戸時代、地震は「世直し」と考えられていたようです。地震は、いったん構築された秩序を破壊し、新たな世に生まれ変わる、いわば再生のための儀礼のようなものです。そして、それをおこす鯰は、破壊者であるとともに、世直しをする救済者でもあるのです。
鯰絵の多くに、「世直し」の言葉がしるされていますが、それはそこに新たな世の再生を期待する気持ちがあるからなのでしょう。(特別展は11月23日まで)
古河歴史博物館学芸員 立石尚之 |