かわる村・地図にない村−遊水地の周辺
明治時代の日本は、急速な西洋文明の輸入と勤勉な国民性とによって、後につながる飛躍的な経済的発展の基礎を築いた時期でありました。その反面、性急な政策のひずみは、明治末年に至って影となってあらわれてきます。公害第一号といわれる足尾銅山鉱毒事件もそのひとつでした。渡良瀬川に流れ込んだ鉱毒がその沿岸住民たちに多大な被害を及ぼしたこと、田中正造による諸活動はつとに著名なことでしょう。
ところで、渡良瀬遊水地は、この公害への対策によって計画されたものでした。明治35年の旧谷中村買収にはじまり、43年には本格的工事がはじめられています。以後、工事は続けられて、谷中湖の完成が平成9年のことでした。
地図から消滅した村、人の手による地形が変わった町・村。鳥になった気分で、渡良瀬遊水地をとりまく村々のいま・昔をご覧ください。